今年を振り返る

ざっくりと一ヶ月ごとに思い出してみる。一口メモだ。

1月

会議をしていたらしい。SSSができなくて悲しかった。

2月

記憶がない。特に何もなかった気がするけど、悪くない一ヶ月だったような気もする。

3月

実家に帰省した。人と話した。どうでもいいことを永遠と話せるのは楽しい。

4月

研究室が始まった。タスクがなくてびっくりした。

5月

タスクがなく授業もなかった。人と話したかった。

6月

人と話してえ。人の話を聞きたすぎる。

7月

院試・研究室等の関係で精神的に不安定に。

8月・9月

じっくり考えた。これまでについて。これからについて。

いろいろ本を読んだ。

10月

11月

12月

残りの月も振り返ろうかと思ったけど、これを考えたのはこの月だというような断定をすることが難しいため、これ以降はもっと適当にメモを記すこととする。

ツイートの下書きに残ってたやつから。

 

ネガティブは僕の仲間だ。

そう思って最近はその後をついていっていた。

でもポジティブだって僕の仲間のはずだ。

仲間ならみんなで一緒に相談して解決策を練らなくちゃ。

どちらかを蔑ろにするなんてそりゃないぜ。

 

ネットに現れる日常と思しきものは、極端な現実にすぎない。極端な幸福、極端な不幸、極端にネガティブな感情、極端にポジティブな感情、などなど。

人は感情が強く動いたときしかあえて発信しようなんて思わないから、そういうことになる。

でも実際僕らの日常はそこまで極端なものなんかじゃない。微妙な塩梅で日常は進行している。

自分の日常と人の日常と思しきものを比較するのはアンフェアだ。自分の日常は連続的に観測することができる。でも人の日常と思しきものは離散的にしか観測することができない。

連続的なものと離散的なものを直接比較することなんてできないでしょ?

その離散的なものを話を聞くことで連続的なものに近づけていくのが楽しいわけで。

だから結局何が言いたいかというと話を聞きに行こうということだ。極端な現実と極端な現実の間にあるその話をさ。

 

自分の中で考え方が確立されつつある。そのため極端にメンタルを崩すというようなことがこれ以降ないのではないかという予感がある。

 

本を読もう。引き出しが増える。自分の凝り固まった考えを変えてくれる可能性を秘めている。

 

メモがなさすぎて今年をちゃんとは振り返れなかったので、各日に何をしたのかぐらいは来年はメモしようかな。

 

あとは一週間に一度くらいは何かしらのイベントを入れたいですね。

 

いろんな人とも話したいな。(もちろん拒まれなければ、の話だけど。)

いろんな人っていっても誰でもいいってわけじゃなくて、話したい人と話したいって話だよ?

僕と話したいって思ってくれる人はもれなく僕の話したい人リストに入ることになる。

言い訳が長くなるので人と話したいって話はここで終了。

 

今年は人々に本当に感謝しなくちゃ。どれだけ助けられたか。

 

まだ書きたいことあるけどだらだら書いててもいいことないので今日のところはそろそろ終わります。

 

良いお年を!