ボツ教養卒論?

この文章は一部フィクションを含みます。(迷走していた中で作られた教養卒論の要旨です。一部フィクションというか全てフィクションです。)

 

学ぶ意味〜先人たちの力を借りて〜

「あなたは何のために今勉強しているのか。」

高校生の頃の自分なら簡単にこの質問に回答することができる。「勉強のできない人を馬鹿にするような態度を取る、俗に言う勉強ができる人間どもに、同じ土俵に立った上でそれは違うんだと伝えるために勉強している。」と。

しかし私はこんなに偉そうなことを考えていたにもかかわらず、今現在そのモチベーションを失っている。私の周りにはそんなクズみたいな人はいない。みんな優しい。本当にそんなクズみたいな人がいるのかどうかが怪しくなってきた。そうなってくるとなぜ学ぶのかよくわからなくなってくる。高校時代の思い込みによって作られた反骨心は、それが思い込みによって作られたものであるとわかるとすぐにガラガラと崩れていった。

私はなぜ学ぶのか、その理由を見失っている。このままではこの教養卒論すら書き上げることができない。ましてや来年以降から始まる研究プロジェクトなんてできるわけがない。

そう思い悩んでいた私は、なぜ私は今学んでいるのか、そしてここからどこへ向かっていけば良いのかについて、大学で哲学を専攻していた兄に相談した。そうすると彼はこう答えた。先人たちに学べ、と。

私はなぜ学ぶのか。その質問に対して、先人たちの知恵を借りて「今の自分」が答えられるようになることがこの教養卒論を書く目的である。