「9月2日ではない日の14:00ではない時間に、渋谷のハチ公前以外の場所で待ち合わせしよう。」
ここから得られる情報はなんだろう。
おそらくなんの情報も得られないと思う。わかったことを無理やり答えるとするならば9月2日の14:00に渋谷のハチ公前で待ち合わせるわけではない、ということだけわかる。
ある事柄をちゃんと理解するためには、その事柄の具体的な情報が必要となる。
「9月2日の14:00に、渋谷のハチ公前で待ち合わせね。」
随分前の話になるが、前に僕が出したクイズの答えは「犬」だ。でもあんなクイズはインチキだ。具体的な情報がなさすぎる。ないものを列挙したところでその対象物は浮き上がってこない。特定することはできない。
あるもの・ことについて具体的な言及をしていくことでその対象物は形を成して、そのものとして浮き上がってくる。
「このクイズの答えになるものは動物でね、嗅覚が優れているんだ。嬉しいときは尻尾をフリフリするんだよ。それに加えてフリスビーとかボールで遊ぶのが好きでね、多くの人から愛されているんだ。」
外堀を埋めて何かを評価しようとするんじゃなくて、本体自体を評価していかないといけないなと最近改めて思った。否定ばかりしたところで何も始まらないと、そう思わないかい?