書くのである

ブログを書くのである。

アウトプットの機会が足りないのである。

いい文章を書けそうにないから文章を書かないというのは良くないことなのである。

いい文章を書けないにしてもそれを言い訳に何も書いていなければ上達することはないのである。

研究も同じである。

人との関係もそうである。

このようにして全てをアナロジーで語るのは良くないことなのである。

何事も程々が重要なのである。

物事は何とでも言えるのである。

例えば物は言いようではないという人がいたとしてもその意見に対して物は言いようだよねと言えば万事解決なのである。

万事解決なんてことはこの世に存在しないのである。

物は言いようである。

明日

明日ミサイルが日本に飛んでくるかもしれない。

明日富士山が噴火するかもしれない。

明日彼女は連絡をとることのできないどこか遠くへといってしまうかもしれないし、明日彼は事故に遭ってしまうかもしれない。

明日僕はこの世にいないかもしれない。

かもしれないはあげ始めたらキリがない。

だからといって現時点でその可能性を消すことはできない。

どんなことも起こりうる。

明日のことを考えるよりも今何がしたいかを考えたい。

ポジティブな意見はすぐに伝えたい。

好きなところを叫びたい。

明日は不確実だ。

だからこそ今を悔いなく生きるのだ。

直感

この人とは気が合いそうだ!!!と知り合ってまもない頃に思うことがある。

実際そう感じた人とは長い付き合いをさせてもらっていることが多い。

話したいと思った時に、でもどう話しかければいいかわからない時に、奇行のように見える行動をとってしまうことはあるけれどなにもしないよりはいいんだと思う。

久々に話した人がいて、やっぱりこの人は面白いしずっと話せそうだなと思ったこないだでした。

しかず

ネットには誰かに対する不平や不満、皮肉るような内容が溢れている。

それは知らず知らずのうちに僕らの心を蝕む。

顔も知らない誰かのつぶやきが僕らの心を蝕むなんてそんなの馬鹿げてると思う。

馬鹿げたことが起こっている。

それをつぶやいたやつは一体どこのどいつだ?

自分のことを想ってくれてない知らんどっかの馬の骨の言葉など捨ておけ。

自分にとって大事な本のある一節の文章を、耳がすり切れるほど聴いた曲の歌詞の一行を、大切な人たちの言葉を僕らの心に響かせよう。傷つけようとするものが僕らの心に入る余地がないくらい高らかに。

 

(ネットに限らず自分のことを想ってくれてない人の言葉だったら別に聞く必要はない。そのくらいの心持ちでいこうぜ。)